トラウマ、あるいはクィアとしての矜持。

自分のトラウマ経験について断片的ですが書いてみたいと思います。以下、しんどい記述も含まれるので、注意していただければと思います。

 

1

 あるとき突然フラッシュバックを経験した。抹殺して忘却の闇に葬り去っていた性/暴力の記憶が。それは断片的だった。ただ同時にわたしにとって最も屈辱的な経験をした場面でもあった。その記憶は、私の前に立ち現れるや否や、身体を支配し、そして硬直させた。身体が鉛のように重くなる。鳥肌が立ち、激しい動機に襲われる。浅くなる呼吸、歪む景色、震える手足。一切の思考が止まり、その場面が何度も再生される。苦しい。どうすればよいのかわからない。自分が自分ではないような感覚。受け入れたくない。絶対に受け入れたくない。過去の出来事のはずなのに、その時点において、強烈に、鮮明に、突きつけられた。別のことを考えようとしてもできない。まるで取り憑かれたように甦る。残酷な映像が、加害者の動きが、周りで嘲笑いながら傍観していた人たちの顔が、どんな思いをしたか何も知らない人たちにかけられた言葉が。あのときの恐怖が乱反射するように何度も重なり合うように降りかかる。

 

2

 自分のことが「嘘つき」のように思えてしまう。自分自身の生存を肯定できない。自分を許せない。他人のことばかり気にして軋轢を生まないように振る舞う。何もかも取り繕い過ぎた。嘘で糊塗し過ぎた。自分が誰なのか。信頼に足る人間なのか。全部わからない。

 自棄的なことするのやめたい。孤独感と寂しさでどうにかなりそう。孤独が怖い。誰かが自分のもとから去っていくのが怖い。ひとりになるのが怖い。もう誰も傷つけたくない。もう何も失いたくない。もう傷つきたくない。このまま朝が来なければいいのに。

 

3

 「ゲイだけは無理」「キモい」「死んだ方がいいのに」そんな辛辣な言葉を目も前で浴びせられて、けど何も言い返せなくて、笑ってごまかすしかなくて、どうしようもなく悔しくて、惨めで、気持ちがぐちゃぐちゃになって、消えて無くなりたくて。

 クィアとして、クソみたいな社会のなかを生きていて、日常のなかで絶えず傷つき、規範にそぐわない異物として排除され、残酷な現実に打ちのめされ、悶え苦しんで、擦り切れそうで、誰も理解してくれなくて、しんどさを抱えてきたのに誰にも言うことができなくて、そんななかで自分のことを自分自身で何度も抑圧して、否定して、欺いて、殺して、そんなこと繰り返した。惨めでつらい思いをしてきた過去を思い出して、どうしようもなく悔しくて、悲しくなった。どうしようもなくしんどいとき、つらいときに自分で立ち直る術を見失っていた。あるとき瞬く間に崩れ落ちて、心が引き裂かれ、気がついたら光が見えないほど暗闇のどん底にいた。孤独のなかで自分自身ですら味方と思えず、苦しい思いをした。

 

4

 自分がどんなに惹かれようが、その人にとって自分が惹かれる存在じゃないのがつらい。別れ際に抱きしめながら寂しいことを伝えた。思いのほかやさしかった。でもそのやさしさもつらい。どんなに想いを伝えようが叶わないものは叶わない。あの人のこと何も知らない。ずっとあきらめや絶望の連続。そんなに大人になれない。傷つくのが怖い。奥歯を噛みしめながら、ひとり帰り道で泣いてる。何やってんだろ。バカ。

 

5

 自分にも当然マジョリティ性はあるし、自分自身の行動や言葉の責任に対して、できる限り真摯に誠実に向き合いたいと思う。ただクィアとして生きてきて、胸が焼き付くような孤独や後悔、葛藤や苦悩、嫉妬や疎外感、諦め、そうした感情が複雑に入り乱れるような経験をしてきたことも紛れもない事実である。けど政治的な正しさや規範から逸脱した自分の経験や情動は、誰もわかってくれない、取るに足らないものと見なされる、なかったことにされる。そんなのありえない。

 

6

 抑圧され、声が絶たれ、言葉を奪われ続けるのはいやだった。いま死んだら自分がこれまでの人生で抱えてきたことが「なかったこと」になるのが、突然悔しくなった。それがどのようなかたちであれ沈黙を拒絶したい。もう自尊心を削られたくない。誰にも侮辱されずに生きていたい。汚辱と惨めさにまみれたセクシュアリティを引き受ける。自分の身体やメンタルを大切にしながら、他者と分かち合い互いにリスペクトし連帯しながら、なんとか生き延びたい。そのために学び、思考を続け、言葉を紡ぎ、誰かに届けるという営みを続けたい。クィアとしての矜持。ここだけは譲れないし、譲らない。何があっても。そこを否定されたら終わりだから。